Your bath is ready.
それは森の中で、昼食後の後片付けをしている時のこと。
「どうしたんですか、悟空?」
たき火の始末をしながら、八戒が心配そうに悟空に声をかけた。
思わず出てしまったため息を、聞かれていたらしい。
「めずらしく食欲がなかったようですけど…」
そうは言っても、八戒の3倍は食べていたのだが。
「どこか具合が悪いのですか?」
「うん…そういうわけじゃないんだけど―」
近くの川で洗ってきた皿を慣れた手つきで拭きながら、悟空は瞳を曇らせた。
「何か悩み事ですか?」
「三蔵、辛そうだろ?」
「あぁ、…最近冷えますしね」
ジープの助手席で不機嫌そうに新聞を読む三蔵を、二人はそっと振り返った。
時折さりげなく腰の辺りを擦っている。
「なんとかしてやりたいんだ」
「僕が治してあげたいところですが、本人が頑なに拒否するんですよね」
八戒は困ったように笑った。
「三蔵、頑固だからなぁ」
「暖めてみたらどうでしょうね」
「腹巻とか、カイロとか?」
それも嫌がりそうだと、悟空はますます瞳を曇らせた。
「そうだ!」
その時、八戒がポンと掌を合わせた。
「次の次の街で大きなお風呂のある宿に泊まりますから、そこでゆっくりしたらよくなるかもしれません」
「え?もう宿とってあるの?」
意外な言葉に、悟空は目をみはった。
「前から気になる宿があったので、実は予約しておいたんですよ」
にっこり微笑む八戒に、一体いつの間に?と悟空の頭の中に疑問が浮かぶ。
そういえば八戒の荷物の中に、“桃源郷宿泊ガイド”という本を見掛けたような気がする。
「何でわざわざ予約したんだ?」
「たまには大きな湯船で、ゆっくり身体を伸ばしたいじゃないですか」
確かにいつも泊まる宿の風呂は小さい。
身体の大きい八戒には狭いのかもしれない。
ほとんど同じ背丈の三蔵も同じ思いをしていたのかと考えて、悟空は急に気の毒になった。
「旅の疲れもとれますし、お風呂が広いと、他にもいろいろなことが楽しめるでしょう?」
風呂に入る以外に、風呂場でいったい何をするのだろう?
ぐるりと考えを巡らせてある答えに辿り着いて、悟空は真っ赤になった。
「オ、オレ等は、そ、そ、そんなことしないからっ…」
「いやだなぁ…何考えているんですか?悟空」
八戒は含みのある笑顔を見せた。
「最近とてもいい入浴剤を手に入れたので、差し上げます。ぜひ三蔵に使ってあげて下さい」
「えぇ、いいのか?ありがとう、八戒!」
「いつも悟空には、こうしてお世話になってますから」
八戒は悟空の渡した皿や鍋を手早く仕舞っていく。
「それってどんな入浴剤なんだ?“日本の名湯”みたいなやつ?登別とか湯布院とか?」
悟空は有名な温泉の名を上げた。
後片付けをすっかり終えて立ち上がると、八戒はにっこりと微笑んだ。
「もっといいものですよ。楽しみにしていて下さいね」
三蔵は煙草に火を点けながら、不機嫌にため息をついた。
最近冷えるせいか、古傷がしくしく痛むのだ。
長時間ジープの助手席に座りっ放しの生活は、腰によくないとわかっている。
それでも西へ向かうには仕方がないのが腹立たしい。
「ごゆっくりどうぞ」
この部屋の鍵を手渡しながら八戒が見せた、妙にきれいな微笑みも気にかかっていた。
この宿は大きいお風呂が自慢だそうです、と尋ねてもいないのに説明すると、八戒は上機嫌で隣の部屋に入っていった。
そういえば昨日の昼食の後も、悟空と2人で何やらこそこそと話をしていたようだった。
あの顔は、何かよからぬことを企てている顔だ。悟空は全く気づいていないようだったが。
煙草を深く吸い込みながら、三蔵は眉間の皺を深くした。
その時、
「風呂わいたぞ、三蔵」
妙に嬉しそうに、悟空が浴室から出てきた。
大きい風呂だからゆっくり入れよと、何故か自慢げに目を輝かせている。
旅に出て以来狭い風呂に窮屈な思いをしていたので、広い風呂は正直ありがたい。
三蔵は煙草を灰皿に押し付けながら、立ち上がった。
風呂に入って気分転換でもするかと考えながら浴室に入り、密かに期待しながら服を脱いだ三蔵は、暖かな湯気の立ち上る浴槽を目にして固まった。
「なっ、何だこれは〜っ!」
思わず叫び声を上げると、きらきらと瞳を輝かせて悟空が飛んできた。
「八戒にもらった入浴剤をいれてみたんだ。すっげ、キレイだろ♪」
浴槽一面を覆い尽くした色とりどりの花、花、花……
赤やピンク、黄、オレンジ、白色の薔薇が、湯気の中に咲き乱れている。
その派手な色彩と立ち上る香りに眩暈がした。
これは、入浴剤の域をこえているだろ!
「薔薇風呂は、腰によく効くらしいぞ」
悟空は嬉しそうに三蔵の顔を見上げながら、シャツを脱ぎ始めた。
「マッサージもプラスすると効果的なんだって。俺、三蔵のために頑張って覚えたんだぞ」
やけに手回しがいいと思ったら…、あの男、変なこと吹き込みやがって!
風呂が広いとマッサージもしやすいな、などと呟きながら、悟空はどんどん服を脱いでいく。
絶句した三蔵は、拒絶の言葉を吐き損ねた。
「早く入れよ、三蔵」
純粋に自分の腰を心配してくれる悟空の気持ちを思うと無下に突っぱねることもできず、芳醇な薔薇の香りの中、三蔵は呆然と立ち尽くした。
静まりかえった宿の廊下を軋ませながら、悟浄は深くため息をついた。
ここ最近ツキがない。
珍しく賭場がある街に泊まることが続いたのはいいのだが、毎晩のように出かけているのに今ひとつ低調だ。
今夜こそはと出かけてみたもののやはり負けが込んで、日付が変わる前に早々に宿に戻ってきてしまった。
それにしても。
ついさっき酒場で聞いた話を思い出して、悟浄は首を捻った。
悟浄が店を訪れる前に、初顔の若い男がやってきたという。
そいつがやたら強くて、たった1時間で大稼ぎすると優雅に微笑みながら立ち去ったということだった。
なぜかここ数日立ち寄った店でも、悟浄は同じ話を耳にしていた。
それって、もしかして…
「!」
自分の部屋の前まできた時、どこからか悲愴な悲鳴が聞こえた気がして、悟浄は立ち止まった。
だがそれきり何の音も聞こえてこない。
空耳かと思い直し、悟浄はドアのノブに手をかけた。
「お帰りなさい」
白いシャツにジーンズという姿でベッドに横になった八戒が、文庫本を抱えて振り向いた。
「起きてたのか?」
「まだ12時前ですよ。調子はどうでしたか?」
「んー…まぁまぁってトコ」
「お風呂わかしてありますよ」
「おー、サンキュ!一緒に入る?」
ベッドに身を起こした八戒は、この上なく嬉しそうに微笑んだ。
浴槽の蓋を開けた悟浄は、茫然と湯舟を見つめた。
立ち上る高貴な香りに、色とりどりの薔薇の花々。
その時悟浄の脳裡に、数日前の深夜、珍しく熱心にテレビを観ていた八戒の姿が思い浮かんだ。
確か、一晩中放送しているテレビショッピングの番組だったか。
「何観てんだぁ?」
酔っ払ってご機嫌で部屋に戻ってきた悟浄が肩を抱き寄せても、八戒は画面から目を離さない。
「薔薇風呂ぉ?こんなモンに興味あるの?」
「彼女へのプレゼントに最高だそうですよ。お姫様気分になれて、彼女のハートもしっかりゲットだそうです。どうですか、悟浄?」
「…もしかして、欲しいの?」
八戒は悟浄を振り返ると、軽く鼻で笑った。
「あんな少女趣味なもの、買う人の気がしれませんよ。第一、薔薇をお風呂に入れるなんて不衛生でしょう」
って、買ってんじゃねーか!
「気に入ってくれましたか?」
風呂場の入り口から顔だけ覗かせて、八戒がこっちを見ていた。
「お前、こんな少女趣味なもん、買う気になれねーって…」
「そんなこと、言いましたっけ?」
「不衛生だって…」
「ちゃんと農家の方が丹精こめて減農薬栽培した上、一輪一輪手摘みしたものですから、心配いりませんよ」
八戒はにっこり微笑むと、風呂場に入ってきた。
何故かシャツを羽織ったままで、防水カメラを手にしている。
「記念にぜひ、薔薇風呂に入る貴方を撮らせてください♪」
ナニ、それ、どーいう発想?
「しっとりと濡れて薔薇の花びらにまみれた貴方の姿、きっと素敵だと思って…」
八戒が入るために買ったんじゃないのか?
八戒はうっとりとした視線で一歩悟浄に近づいた。
自分より八戒の方が数倍絵になるとはずだと考えて、悟浄は、はたと気がついた。
「もしかしてお前、これ、三蔵のカードで…」
八戒はむっとしたように顔を上げた。
「いくら僕でも、そんなことはしませんよ」
「じゃあ、どうしたんだよ」
「正々堂々、この腕で稼ぎましたよ」
八戒はガッツポーズをして見せた。
やっぱり噂の男は、コイツか!
「やたら強い男が賭場を荒らしまくってるって聞いたけど、あれはお前のことだったのか」
「失礼な言い草ですね。まぁ、これ位の額は軽く稼げましたけど」
八戒は手にしたカメラで、薔薇の浮かぶ風呂を指し示した。
「さぁ、早く入ってください。お湯が冷めてしまいますよ」
じりじりと迫ってくる八戒に、悟浄は一歩後ずさり、片足を浴槽に突っ込んだ。
「お前も入るなら、入ってもいい……けど写真は勘弁してくれっ!」
「仕方ないですねぇ。では今日は、心のフィルムに焼き付けておくことにします」
八戒は残念そうに眉根を寄せると、悟浄の肩に手をかけながら自分もザブリと湯に入った。
「あっ…」
床が滑ったのか、体勢を崩した八戒の身体が悟浄の上に覆いかぶさってくる。
八戒に押し倒される格好で浴槽に沈みこみ、悟浄は頭から湯を浴びてしまった。
「ごめんなさい…大丈夫ですか?」
「…あぁ」
長い髪が濡れて絡まり、そこに薔薇の花びらが張り付いている。
鬱陶しく思い手を伸ばす悟浄の腕を、八戒が掴んだ。
「悟浄、動かないで…すごくイイですよ」
心のシャッターを切る音が聞こえてきそうなほど熱い視線を向けられて、悟浄は確信した。
今の、絶対わざとだろ!
文句を言おうと口を開いた悟浄は、改めて八戒の姿を眺めて息をのんだ。
悟浄同様に湯を浴びた八戒の髪や頬に、色とりどりの花びらが数枚張り付いている。
濡れたシャツが身体に張り付いて肌が透けて見える様が、なんとも色っぽい。
というか、いかがわしい。
「お詫びにマッサージもサービスしますよ」
妖艶な微笑みを浮かべながら八戒が囁いた。
その言葉に、早くも暴走寸前の悟浄だった。
翌朝ジープの上は、何ともいえぬ芳香に包まれていた。
何故か昨日より腰の具合が辛そうな三蔵からも、バツの悪そうな表情の悟空からも、ほのかな薔薇の香りがしている。そして湯あたりしすぎてお疲れ気味の悟浄からも。
昨夜の甘い時間を思い浮かべて、八戒は微笑んだ。
やっぱり大きいお風呂は格別ですね。
写真を撮り損ねたのは残念ですが、まだ数回分ストックがありますから、チャンスは充分あるでしょう。
「いい香りですね、ジープ」
「きゅ〜っ♪」
「たまには、薔薇風呂もいいものですね」
昨夜を思い出して深いため息をつく3人を満足げに眺めると、八戒はアクセルを踏み込んだ。
さて、次はどんなお風呂にしましょうか?
end
とりあえず、三蔵サマ、ごめんなさいっ!
寒いときは、お風呂ですよ。腰が痛いときも、とにかくお風呂。
バラ風呂は悟浄にとても似合うと思うのです。
新春らしくはっちゃけた八戒を書いてみたかったのですが、なんか方向が違う…
(2009.01.09)