マイゴット






外は薄闇が漂い始めていた。
「もう、帰ります」
窓から視線を戻し呟いた八戒は身繕いを始めた。
その横顔は、さっきまでの熱情が嘘のように淡々と清らかだ。
久しぶりの来訪に心を波立たせていたのは自分だけではなかったはずなのに、目の前の男からは情事の欠片も感じられない。
以前それを、詰る調子にならぬよう気をつけながら尋ねたら、苦笑まじりに返された。
「あの人、こういうコトに関して妙に察しがいいので。あなたとのことを、揶揄われるのが苦手なんです」
「言わせておけばいい」という俺の言葉に、八戒は僅かに頬を染めながら返した。
「あなたは僕にとって大切な人ですから」
その言葉を思い返す度に、なんとも言えない満たされた気持ちが胸に広がる。
八戒が直接に想いを口にすることなど滅多にない。
それでも向けられる想いを疑わずにいられるのは、その眼差しや微笑みが雄弁に語っているからだ。
だがいつも別れ際だけは、八戒はなぜか素気なかった。
それが不満というより、不思議だった。

「だめですよ」
腕を伸ばして抱きしめると、碧の瞳は柔らかな笑みを浮かべて身を退いた。
「なぜ、だめなんだ」
「別れがつらくなります」
「あんなやつの所になんか、帰らなきゃいいだろう」
「そんな子供みたいなこと…」
腕の中の八戒は、首をかしげて困ったように笑みを深めた。
時折見せる何気ない仕草が、師に似ていることに気づいたのはいつだったか。
懐かしさと愛おしさが入り混じって胸が締め付けられる。
こんな気持ちになるなんてどうかしている。
いつだって、思い入れが過ぎぬよう自制してきたのに。
気まぐれな戯れと割り切って重ねてきた時間は、思いのほか自分の中で大切なものになっていた。
腕の中の熱を僅かでも長く感じていたくて、さらに強く抱きしめた。

だから当然のように、八戒を西への旅にも同行させた。
常に身近で共に過ごす時間で、俺たちはさらに想いを深めていった。
だが。
たどり着いた安宿で、深い森の奥で、二人きりで抱き合う度に八戒は同じ言葉を口にした。
「もう、戻りましょう。別れがつらくなります」
戻っても隣にいるのに何を言うのかと尋ねると、八戒はただ清しい顔で笑うだけだった。

旅に出て、いつの間にかその言葉の意味は変わった。
いや。
多分あの頃から、八戒は同じ意味でそれを口にしていたのだろう。
闇に満たされていく窓の外を見つめていたあの日。
きっとあの時にはもう、八戒はこうなることを見据えていたのだ。
別れがつらくなります
そう。
つらくなるのは、俺だった。

西域に入ったある日、八戒は穏やかに微笑みながら切り出した。
「僕はあなたを何があっても守ります。でも、もし僕が理性を無くして仲間を傷つけるようなことになったら、その時は、あなたがその銃で始末をつけてくださいね」
残酷な言葉を突きつけながら、八戒は優しい顔で笑みを深めた。
「あなたは僕を許してくれた。到底償えない罪を犯した僕に、生きる理由をくれた。
あなたは僕の全てです。天上天下、どれだけの神さまがいたとしても、僕が信じるのはあなただけです。
だから、その時≠ノは、迷わないで」
熱を帯びた瞳で俺を見る八戒に、俺は諾以外、返す言葉が見つからなかった。

八戒はつくづく師に似ている。
穏やかな微笑みだけでなく、その奥に秘めた残酷なほどの強固な意志も。
言われるまでもないことだ。
この旅に出た時から、いや、初めて惹かれた時から決めていた。
どこまでも連れて行くし離さねえ。
何があっても受け入れる。
たとえ死んでも、転生でも何でもして見つけ出す。

全くどうかしている。
信じていなかった来世を願う程、八戒に惹かれている。
八戒は神よりも俺を信じると言う。
だが、こんな風に俺を変えたお前こそが、
俺の――





end





(2019.6.29〜2019.11.8 拍手ss)




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